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東京高等裁判所 昭和41年(う)2894号 判決 1968年3月14日

主文

検察官および被告人らの本件各控訴を棄却する。当審における訴訟費用中証人浅木恒央に支給した分は、被告人らの連帯負担とする。

理由

検察官の控訴の趣意第一、事実の誤認の主張について

所論は、原判決には、(一)本件犯行については、遅くも犯行の前夜には事前謀議がなされているのに、共謀の時期を犯行の直前とした点において、(二)本件威力業務妨害の終期が当日の午後七時過ぎであるのに、これを同日午後五時ころとした点において、(三)本件犯行の手段方法として起訴状の公訴事実に記載された重要な諸事実を認定しなかつた点において、事実の誤認があり、これは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるというものである。

しかしながら、原判決挙示の証拠によれば、原判示事実を肯認することができるのであつて、原審の記録および証拠物を調査し、かつ、当審における事実の取調の結果をも勘案しても、原判決が採証認定を誤つたとみることはできない。以下所論の諸点について、順次判断する。

(一)について

所論援用の諸証拠によれば、本件犯行については、その数日前から当時の東京学生会館に在館する学生ら(以下単に館生または館生らと略称する。)の間に謀議が進められ、その前夜においては、それがかなりに具体化されていたことが認められる。しかしながら、かかる謀議の経過を判決に表示するを要するものではなく、しかも、被告人らと、被告人ら以外の原判示犯罪事実に摘示された具体的行為をした者との間に、所論のような事前の謀議が遂げられていたものとは、確認し難いので、原判決が確実に認定し得る範囲において、原判示の者らが、当日、たがいに意思を相通じ、本件各犯行に及んだ旨判示したことは、まことに妥当であつて、これをもつて、所論のように原判決に事実の誤認があるとするわけにはいかない。(二)について

所論援用の諸証拠だけから判断すれば、本件当日、財団法人学徒援護会(以下単に援護会と略称することがある。)の本部建物の二階の事務室やその附近には、午後七時過ぎころまで、なお館生らが残存していて、援護会の職員らがそのころまで執務することができない状態にあつたとも、みられないではないが、原判決の挙示する原審公判調書に記載された証人<略>の各供述によれば、当日、右職員らは、午後四時ごろ警官隊の出動を要請する措置をとり、これにより、警官隊が午後五時三〇分ごろないし六時ころまでに出動して来て、右本部建物の外部から館生らに解散するよう呼びかけ、やがて、実力行使に移り、午後七時四〇分ごろまでに館生ら全員をこの建物から退去させるに至つたものであつて、その間、右事務室においては、本来の終業時刻である午後五時ころ女子職員を帰し、その後は、男子職員だけが残つていたが、同人らにも、本来の執務をする意思があつたとは認め難いばかりでなく、警官隊が出動して来てからは、右建物内部の館生らは、警官隊に対する抵抗に主力をおいており、結局、警官隊の実力行使に抗することができないで、右のように退去させられるに至つたものであることが認められるのであるから、原判決は、本件威力業務妨害の行なわれていた時間につき、確実を期して、これを同日午前一一時ころまでと認定したものと解せられ、単に形式的に本来の終業時刻を終期として犯行の時間を不当に短縮したものとは、いえないから、これを所論のように事実の誤認として非難することは、当たらない。

(三)について

原判決は、本件犯行の手段方法については、相当具体的に判示しているのであつて、原審の審理および当審の事実の取調に現われたあらゆる証拠を照らし合わせて検討しても、原判決が右犯行の手段方法につき重要な事実の認定を遺脱したとは、みられない。所論指摘の、本件の共同正犯者が下村理事に対し、机上の茶腕をとりあげて頭から茶水をかけたとの事実についても、原審公判調書に記載された証人<略>の供述と、原審公判調書に記載された証人<略>の供述とを照らし合わせて考察すると、真相は、中村課長が自己の机上で下村理事のため急須で茶碗に茶をつごうとした際、館生の一人が中村課長の手をたたいたため、急須がはねて中村課長の机に落ち、茶水の一部が下村理事の身体にかかつたものと認められるのであつて、所論の事実とは趣きを異にするものがあり、特に判決に摘示しなければならないほどの重要な事実であるとは、解されない。その他、当審における事実の取調の結果から考えれば、原裁判所が所論のように審理を尽くさなかつたために、事実の誤認をしたとみるべき点も、存しないのである。

以上(一)ないし(三)について判断したとおりであるから、原判決には、もとより、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認はない。論旨は、すべて理由がない。

同第二、量刑の不当の主張について

所論は、要するに、被告人らをおのおの懲役二月に処し、一年間その刑の執行を猶予することとした原判決の刑の量定が、軽きに過ぎる旨主張するものである。

そこで、原審における審理の結果および当審における事実の取調の結果に徴し、被告人らの年齢、経歴、性行、生活環境、本件犯行の動機、態様および犯行後の諸事情を考量し、ことに、本件犯行が、かねて謀議が進められて来たもので、少数の援護会職員に対し、多数の館生の威力を用いて行なわれた長時間にわたるものであることを思うときは、原判決の量刑を不当とする所論の事由には、首肯し得るものもあるけれども、本件犯行は、学徒援護会の理事らが、長期間にわたり、館生らの正当な自治活動の範囲を越えた大幅な自治行動を是正しないでおきながら、会館の移転問題が具体化して来たときにあたつて、一挙に秩序の確立を強行しようとしたため、入館以来の慣行になれていた多数の館生との間に生じた摩擦に端を発するものであつて、館生らの本件犯行の違法なことは、いうまでもないが、これらの館生らのうち特に被告人ら三名に対してのみ厳しくその刑責を問い難いとみられることや、原判決後本件会館の建物および敷地の占有が国に移つたこと、その他犯行後現在に至るまでのあらゆる情状をあわせて考えるときは、原判決の前記量刑は、これを原判決当時の時点において見れば、やや寛に過ぎるきらいがないではないが現在の時点においては、必ずしも所論のように軽きに過ぎるものということはできない。論旨は、理由がない。

被告人らの控訴の趣意第一の一および二、法令の適用の誤りの主張について

所論は、原判決には、(一)憲法上の観点からみて、(二)慣行上の権利という観点からみて法令の適用の誤りがあり、これは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるというものである。

そこで以下順次これらの点について判断する。

(一)について

憲法第二三条に規定する学問の自由は、これを学生の立場からみれば、学習の自由、学問的研究の自由および学問的見解の発表の自由にあるということができる。そして、かかる学問の自由を護り、学問の進歩・発展を期するには、学生の健全な自主的精神・批判的精神を助長すべきであり、学生の適正な自治活動は、これを尊重し、むしろこれを育成助長すべきものといわなければならない。しかし、学生は、教育者ではなく、あくまで修学途上の教育を受ける立場にあるものであるから、学問の自由が保障されるからといつて、無制限な自治活動が許容されるわけのものではない。本件の東京学生会館は、学生のため物心両面にわたつて厚生援護を図ることを目的とする財団法人学徒援護会によつて経営されていた学生寮であり、その敷地および建物は、国有に属し、学徒援護会が国からこれを借り受けていたものであつて、同会館の経営に要する費用は、大部分国庫補助金によつてまかなわれていたものであることは、原判決挙示の証拠上明らかなところである。されば、学徒援護会は、自己の施設たるこの会館を自己の責任において、自己の方針に従い管理運営することは、当然であつて、国に対しても、会計法規、国有財産の管理に関する法令および補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律等による規制のもとに、これを管理運営する責務を負つていたものといわなければならない。したがつて、原判決が、「弁護人の主張について」と題する欄において、入館選考、退館処分その他学生会館の管理運営に関する諸事項を処理する権限や、各学生会館に対する予算を配分する権限が学徒援護会に帰属すること自体については、法制的に疑問の余地がなく、そのことを前提としたうえで、実際の運営をどのように行なうかについては、種々の態様が可能であるが、学徒援護会は、その目的とする教育的事業の一環として館生の自治制度を採用しているのであるから、館生の自治の限度の最終的決定権は、教育目的や効果などを考慮しつつ館生を指導するという立場にある援護会にあり、民主社会における自治能力の養成、学生の自由で自主的な気風の養成という教育的観点からも、援護会が館生の自治活動を最大限に尊重すべきことは、いうをまたないけれども、館生は、教育の一環としての自治活動をすることを承認して入館しているものといわざるを得ないのであつて、その主張し得る自治活動には、おのずから限度がある旨説示したことは、まことに正当な判断を示したものといわなければならない。本件の東京学生会館は、館生の勉学および生活の場ではあるが、原審における事実の取調の結果をつぶさに調査して、検討しても、本件の東京学生会館の移転は、不可避の情勢にあつたものであり、あらたに建設される会館の施設や、あらたに制定される予定の学生会館管理規程において、館生らの自治活動の範囲が従来より狭められることは、否めないとはいえ、これも、東京都およびその近郊の住生活の実情や館生らの自治活動がすでに長期間正当な限界を逸脱していたことに照らしても、まことにやむを得ないところであり、これにより、館生らの自由を保護するために必要な自治活動までが制限される状況にあつたことは、考えられず、また、館生らの生存権ないし生活権が侵害されるとも、解せられないのである。以上に徴すれば、原判決は学問の自由を保障した憲法第二三条の解釈を誤つたものでないのはもとより、教育を受ける権利について規定した憲法第二六条第一項についても、また、憲法の精神に則り制定された教育基本法の前文、第一条ないし第三条、その他の教育関係法規についても、その解釈を誤つたものとは、いえない。被告人らが、所論のように、館生らの憲法上の諸権利を、これに対するさしせまつた侵害の危険から防衛するため、本件行為に出たものであるとは、とうてい解せられないところである。

(二)について

本件の東京学生会館における館生の自治の限度の最終的決定権が学徒援護会にあることは、右(一)について判断したとおりであつて、かかる判断が、所論のように、単純な所有権・管理権理論による解釈に過ぎないもので、憲法上の学問の自由を正当に評価しないものであるとするわけにはいかないことも、右(一)について判断したところにより明らかである。同会館の在館学生が従来実質的に広範な自治活動を行なつて来たことは、原判決も、これを認めるところであるが、原判決挙示の証拠と原審の審理に現われたその余の証拠および当審における事実の取調の結果とをあわせて考察すれば、学徒援護会の発足の当初は、理事らと在館学生との間には、相互に親愛・信頼の関係があり、右会館の運営については、援護会が最終的決定権を確保しながら、実質的には大幅に在館学生の自治に委ねていたものであるが、年を経、在館学生が交替して行くにつれて、両者の親愛・信頼関係が薄れ、在館学生が援護会の最終的決定権を無視し、正当な自治の限界を越えた行動をとるに至り、かかる状態が長期間継続して本件当時に至つたもので、本件の館生らは、かかる状態の継続中に入館して来たものと認められるのであるが、かかる状態は、もとより適法なものではなく、かかる状態が事実上幾年続こうとも、館生らが所論のような慣行による広範な自治権を取得すべきいわれはなく、また、館生の自治活動の範囲について、援護会当局と館生らとの間に意見の一致を欠いたからといつて、援護会当局が、館生らの要求により、その解決をはかるため、館生の集団との直接交渉に応じなければならないものとは、解せられないのであるから、援護会が、所論のように一方的に館生らの慣行上の権利を侵害し、または、これを侵害しようとしていたものということはできない。したがつて、被告人らが館生らの所論のような慣行上の権利を、これに対するさしせまつた侵害の危険から防衛するため、本件行為に出たものであるとして、これを正当視するわけにはいかない。

以上(一)および(二)について判断したとおりであるから、原判決には、所論のような法令の適用の誤りはない。論旨は、理由がない。

同第二、事実の誤認の主張について

所論は、(一)被告人ら館生は、本件当日、かねて懸案となつていた東京学生会館の移転・学生会館管理規程の制定に関連する諸問題について、学徒援護会当局との団体交渉を要求するために本件の事務室に入つたもので、その入室は、理事側においても、容認していたものであり、(二)右事務室に入つた館生らが、威力を用いて援護会の理事その他の職員の業務を妨害した事実はなく、(三)本件所為は、館生の憲法上の、および慣行に基づく諸権利に対する援護会当局の急迫不正の侵害を排除するため、やむを得ないで行なつた正当な行為であるにかかわらず、原判決が被告人らの行為を有罪としたことは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるというものである。

しかし、原判示事実が原判決挙示の証拠によつて認められ、原判決が採証・認定を誤つたとみられないことは、さきにも判断したとおりであるが、さらに、所論の諸点について、以下順次判断する。

(一)について

あらたに建設される東京学生会館の施設や、あらたに制定される予定の学生会館管理規程において、館生らの自治活動が不当に制限されたり、その生存権ないし生活権が侵害されたりするものでないことは、前記第一の一および二についての判断において説示したところにより明らかであるから、館生らがこの問題に関連して、学徒援護会の事務室に理事らの意思に反して大挙して押しかけ、団体交渉を要求すべき筋合のものでないことは、いうまでもないところである。被告人らが、原判示前文にあるような経過のもとに、他の館生らとたがいに意思を相通じて、原判示(一)のように右事務室に不法に侵入したことは、原判決挙示の証拠上明らかなところである。所論の近藤理事の証言の援用は、同人の証言の一部のみを抽出して、これを被告人らの有利に強調し、同人の証言の本旨とは異なる結論を導き出そうとするものであつて、これをもつて、理事側において、被告人ら館生の入室を容認していたものとすることはできない。

(二)について

右事務室に侵入した被告人らその他の館生が、たがいに意思を相通じて、原判示(二)記載の方法で、同記載のような怒声や罵声を飛ばし、脅迫的言辞を浴びせ、暴行をもあえてし、長時間にわたり学徒援護会の理事その他の職員の業務を妨害したことは、原判決挙示の証拠上明らかなところであるから、被告人らが威力を用いて人の業務を妨害したものであることは、いうまでもない。

(三)について

学徒援護会当局が館生らの自治活動を不当に制限しようとしていたものではなく、館生らの憲法上やその他の所論のような権利に対するさしせまつた侵害の危険があつたものでないことは、さきに判断したところによつて明らかであるから、被告人らの本件行為が、援護会当局の急迫不正の侵害に対し、館生らの権利を防衛するため、やむを得ずなされたものであるとして、違法性を阻却するものとは、いえない。

以上(一)ないし(三)について判断したとおりであつて、原審における審理の結果および当審における事実の取調の結果を照らし合わせて、しさいに検討しても、原判決挙示の原審公判調書に記載された証人の下村康の供述中原判示に副う部分が所論のように信用性を欠くものであるとは、解されず、その他原判決が証拠の価値判断を誤つて事実の誤認をしたとは、みられない。論旨は、理由がない。

同第一の三、錯誤に関する主張について

所論は、本件当時館生らの自治活動に対する急迫不正の侵害がなかつたとしても、被告人らは、これがあるものと信じて、これに対する防衛行為として本件行為に出でたものであるから、本件には、違法性阻却事由たる事実の錯誤があり、故意の成立が阻却されるから、過失犯について構成要件の存しない本件においては、被告人らは、無罪であるにかかわらず、原判決がかかる錯誤を情状に関する判文中に認定しておりながら、本件事務室への不法侵入および右事務室における威力業務妨害の犯罪事実を認定して、これにより被告人らを処罰したことは、事実を誤認し、かつ、法令の適用を誤つたものであるというのである。

しかしながら、原制決の「認定事実」、「弁護人の主張について」および「情状について」と各題する欄の判文を通読するときは、右「情状について」と題する欄に記載された所論援用部分(ただし、原制決には、「本件に至る諸事情を考えると、」となつており、所論のような「本判決に至る諸事情を考えると、」とはなつていない。)は、ただ、あくまでも情状として、被告人らの立場からすれば、従前どおりの自治活動を継続することができなくなることについての切迫した危機感から、本件のような行動をとるに至つたのも、一面無理からぬところがある旨表示したにとどまるものであつて、被告人らに所論のような違法性阻却事由たる事実の錯誤があつたことを認定判断したものでないことは、明らかである。そして、原審における審理の結果および当審における事実の取調の結果をつぶさに検討すれば、被告人らが館生らの従前の自治活動が正当な限界を越えない適法なものであつて、これに対する援護会当局の急迫不正の侵害があると信じていたとは、解せられないばかりでなく、かねてから館生の代表者数名との話合いを望んでいて、館生の集団との直接交渉を拒否していた理事らに対し、あくまで館生の集団との直接交渉を強要し、大挙して、入室を拒否されていた援護会の事務室に押しかけ、原判示(一)および(二)の行動に出ることが、館生らの権利または利益を防衛するため、やむを得ないで、した行為であるとは、とうてい解せられないのである。したがつて、所論のように、被告人らに違法性阻却事由たる事実の錯誤があつたとし、被告人らの無罪を主張することはできない。それゆえ、原制決には、所論のような事実の誤認や法令の適用の誤りは、存しない。論旨は、理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により、検察官および被告人らの本件各控訴を棄却することとし、被告人らに、当審における訴訟費用の一部を連帯負担させることにつき、同法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して、主文のとおり判決する。(堀義次 内田武文 金子仙太郎)

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